実のところ、NHK時代は本格的に朗読に取り組むことはしていませんでした。アナウンサーの仕事として朗読に近いものといえば、番組のナレーションなどは数多くこなしていましたが、いわゆる朗読とは無縁だったのです。しかし、独立してからは朗読の舞台に立つことが多くなりました。古典文学や民話、エッセイなど、あらゆるジャンルの作品に挑戦しています。特に、吹田市文化振興事業団の運営するメイシアターの主催公演として、毎年「ナニワのアナウンサー寺谷一紀の朗読エンターテイメント」というシリーズを上演しており、平日昼間という時間帯にも関わらず、毎回大入満員の好評をいただいています。朗読のワークショップも同時開催しています。自身の主宰するスクールで行なっているボランティアやFMの番組のなかでも、私の朗読を聞いていただく機会が増えています。
朗読とは無縁だった局アナ時代
プロとして朗読を多くの方に聞いていただくようになったのは、NHKを退職しフリーになってからのことでした。それまでの局アナ時代は、原稿を読むといえばニュースかナレーションぐらいであり、朗読の機会はほとんど無かったといっても過言ではありません。私の場合は特に、バラエティー番組の司会やリポートの仕事が大半でしたから、きっちりと何かを読むということは少なかったのだと思います。
朗読家としてのスタート
しかし、独立直後「京橋オンリーワン学園・寺谷一紀アナウンスアカデミー」を主宰するようになって状況が一変します。多くの方が、朗読を勉強したいと私のところに来られるようになり、朗読ボランティアにも頻繁に出かけるようになって、朗読が生業のひとつに加わったのです。原稿をもとに、音声表現を駆使して相手に伝えるという点では、アナウンサーの仕事と共通点も多い朗読ですが、ニュースやナレーションのようにただ淡々とやれば良いというものではありません。かといって、過剰な演技も不自然であり、その辺りの加減は実に奥の深いものがあります。私の場合は、やはりNHKのアナウンサーとして身につけてきたものをベースに、独自の理論を確立して臨んでいます。具体的には、あくまで自然な息づかいを大切に、声自体に表情を持たせて伝えるというものです。
大阪弁にもこだわって
そしてもう一つ、ナニワのアナウンサーですから、大阪弁も大切にしています。大阪弁にもいろいろありますが、私の祖父母は生粋の船場の商家の生まれです。かつて関西の漫才界の大御所の某師匠に、テレビのアナウンサーで一番正しい大阪弁を使っているのは寺谷さん、という過分な評価をいただいたこともあり、正統派のなにわことばを守り続けたいと思っています。
寺谷一紀の朗読エンターテイメント
そんな私の晴れ舞台が、平成24年から毎年1−2回のペースで上演を続けている「ナニワのアナウンサー寺谷一紀の朗読エンターテイメント」という舞台公演のシリーズです。単なる朗読からエンターテイメントとしての魅せる朗読へと進化した、アグレッシブで実験的な試みとして回を重ねています。たとえば朗読とミュージカルを融合させ、おなじみの昔話が突然ダンスなどを交えたカラフルなステージに変貌したり、淡々とした民話の朗読のなかに漫才が入ってきたり、朗読とパントマイムがコラボしたり…毎回何が起こるか予想がつかない意外性を売り物にしています。と同時に、平和や命の大切さについてのメッセージを発信することにも大きな力を注いでおり、太平洋戦争や東日本大震災などをテーマにした作品を数多く取り上げてきました。私自身が脚本を執筆することもしばしばです。笑いあり涙ありの舞台は大好評で、平日昼間という時間帯にもかかわらず、毎回大入満員となっています。
エフエム放送局とのコラボ
また平成29年からは、奈良県五條市に開局した「エフエム五條」という地域FM局と連携し、ラジオの生放送で本格的な朗読を披露するという新しい試みもスタートしました。このエフエム五條では、私の元で朗読を学んでいる方もパーソナリティーや朗読家として出演しています。朗読の楽しさや素晴らしさをもっともっと多くの人々に知ってもらうために、ナニワのアナウンサーの地道な挑戦は続きます。