アナウンサー Announcer

NHK大阪放送局を中心にのべ10年間、アナウンサーとして数多くの番組を担当しました。全国ネットの大型番組のリポーターから、地域情報番組のキャスターまで、NHK時代に出演した番組は膨大です。NHKの全国放送で、初めて本格的に大阪弁を使ったアナウンサーとしても知られています。キャッチフレーズの“ナニワのアナウンサー”は、そんな私をみた90歳のおばあちゃんが、ファンレターに書いてくださった言葉です。NHKを退職してからは、フリーのアナウンサーとして、関西を中心に民放の番組などに幅広く出演しています。

ディレクターからアナウンサーへ

NHK時代は大阪放送局を中心にのべ10年間、アナウンサーとして様々な番組を担当していました。実は入局してから6年間は、東京と大阪でディレクターとして、報道番組や情報番組の企画・制作に携わっていました。しかし、大阪を舞台にしたドキュメンタリーの制作過程で、リポーターとして派遣されたアナウンサーが大阪弁を話せないことで、取材対象のホンネを充分引き出せないというカベにぶつかり、自作自演を模索するようになります。取材から最後のリポートまで全てこなせるようになるには、自分がアナウンサーになるしかない…というわけで、周囲の反対を押し切って転向の希望を出しました。実現するには三年がかかりましたが、NHK・民放とわず、ディレクターからアナウンサーになったという人は極めて稀でしょう。

右から二人目、弱冠24歳で韓国ロケに東奔西走
右から二人目、弱冠24歳での韓国ロケ
28歳、ディレクター最後の年はスリランカ取材
28歳、ディレクター最後の年はインドの南スリランカへ

はるばると世界旅のリポーターに抜擢

以来、全国ネットの大型番組から地域情報番組、ニュースに至るまで、実に様々なジャンルの膨大な番組でリポーターやキャスターを務めてきました。全国ネットで印象に残っているのは「はるばると世界旅」。NHK版うるるん滞在記の様な大型紀行番組で、東京本部以外のアナウンサーとしては初めてリポーターに抜擢され、およそ2ヶ月にわたりエジプトを旅しました。帆掛け舟に寝泊まりしてナイル川を下ったり、地図にない村で幸せに暮らすラクダの親子とふれあったり…ハプニング連続の珍道中となりました。

カイロ郊外のラクダ市場に日本のテレビカメラとして初めて潜入し、ラクダ商の親子を密着取材
カイロ郊外のラクダ市場に日本のテレビカメラとして初めて潜入し、ラクダ商の親子を密着取材

ひるどき日本列島で関西の魅力を生中継

生中継の大がかりな番組としては、月曜から金曜まで5日間かけて全国各地の様々なエリアを旅する「ひるどき日本列島」が思い出深い番組です。滋賀県のびわ湖を一周したり、大阪南部の河内エリアを巡ったりと、著名な女優さんなどとペアを組んでの楽しい番組でした。

アナウンサーに転向して一年目、びわこ一周の旅では特技を活かし、クルーザーを操縦して登場
アナウンサーに転向して一年目、びわこ一周の旅では特技を活かし、クルーザーを操縦して登場

本邦初! ベトナムからの生中継

「関西国際空港開港記念特番」では、本邦初となるベトナム・ホーチミン市からの生中継を担当し、地元テレビ局の協力を得て、見事成功させることが出来ました。事前の取材も含めて半月ほどベトナムに滞在し、多くの地元の人たちとふれ合うことも出来ました。

ホーチミンの街角から本邦初の生中継リポート
ホーチミンの街角から本邦初の生中継に挑戦
サイゴン川のクルーズで働く地元の少年と交流
サイゴン川のクルーズで働く地元の少年と交流

ハプニング続出! 新世界からの生中継

体を張った生中継では、夜の大阪新世界を30分かけて歩き回った「生中継にっぽんの夜・30分間新世界一周」が鮮烈な記憶とともに残っています。在阪民放でもなかなかカメラを入れない夜の新世界は、ある種独特の空気を持っていて、ハプニングの連続となりました。

タイムスリップ! 堂々日本史

全国各地を取材で駆け回ったといえば「堂々日本史」。平安貴族たちの恋愛スキャンダルからペリー来航の裏話まで、再現ドラマなどを織り交ぜながら、日本史の知られざる一面をリポートしました。

30代前半、歴史の謎を追って全国各地へ取材に
30代前半、歴史の謎を追って全国各地へ取材に
江戸の街並みを忠実に再現したセットでのロケ
江戸の街並みを忠実に再現したセットでのロケ

特番から朝夕のニュースまで

この他にも、BSの長時間特番や朝夕のニュース番組の中継などで、大阪弁を交えた独自のトークを全国に披露し、お堅いNHKのイメージをを破ってきたと自負しています。ちなみに私は究極の晴れ男で、数百回にも及ぶ生中継のうち、外で雨を降らせたことは一度もありません。

大阪弁炸裂の地域情報番組スタート

しかし、なんといってもナニワのアナウンサーの真骨頂は地域情報番組です。地元の目線で伝えることをモットーに「夕方5時です千客万来」「とっておき関西」などなど、公開生放送の伝統に先鞭をつけました。これらは、NHK大阪放送局の玄関に急造のセットを作り、お客さんに開放して朝ドラのヒロインなどをゲストに招き、生放送でトークするというもので、ハプニングが連続のスリリングな番組でした。

朝ドラ「あすか」のヒロインや共演者を迎えて、放送の様子
朝ドラ「あすか」のヒロインや共演者を迎えて
生放送
まさにゲストやお客さんと一体になった生放送

理想はあくまで自作自演

そしてもちろん、取材からリポートまで全てを一貫してやり通すスタイルにもこだわり、「関西テレビ丼・商店街しゃべくり紀行」や「ふれあい通り」など、自作自演のシリーズを次々と生み出しました。

ナレーターからラジオ番組まで幅広く

ナレーターとしても「オモシロ学問人生」や「人間マップ」など、大阪制作の全国ネット番組に関西風味のナレーションで登場しています。ラジオ番組は多くありませんが、「ネットワークにっぽん」や「ラジオ深夜便」などで、関西の魅力ある人やモノを積極的に紹介してきました。

大阪放送局の公開スタジオから、ハイビジョンを駆使した生放送
退職直前の仕事は、新しい大阪放送局の公開スタジオから、ハイビジョンを駆使した生放送

東京への転勤を辞退しての独立

そんなナニワのアナウンサーに転機が訪れたのが入局16年目、アナウンサーに転向してちょうど10年目のことでした。NHKというのは転勤族。大抵の職員は、2〜4年で全国各地を転々とします。対する私は、東京の報道局を振り出しに、あとの大半を大阪で勤務するという例外的な存在でした。暗に転勤を拒んできたという事情もありますが、そろそろ管理職という年齢になって東京への異動という最後通牒がやってきたのです。それを断われば、もはやNHKにはいられません。生来のあまのじゃくの私は、栄転を固持する形で退職を決意しました。

関西の民放テレビ・ラジオで再び

こうしてフリーランスとなったわけですが、幸いにも関西を中心に、民放のテレビやラジオ番組に活路を見出すことができました。退職直後の4月から、「三都ネットらぶかん」というテレビのワイドショーのメイン司会者と、「寺谷一紀の土曜はおまかせ」というラジオのワイド番組のメインパーソナリティーを務めることになったのです。テレビは月曜から金曜までの帯の生放送、ラジオは土曜の生放送でしたから、NHKにいた人間がいきなり毎日関西のメディアに登場するということになり、チャンネルを間違えたと勘違いする視聴者も少なからずいたようです。この他にも、CS「寺谷一紀の彩友記」や地上波「寺谷一紀の医療どぉーナル」など、情報番組の司会を務めたり、プロセブン耐震マットのCMキャラクターをさせていただいたりと、経験の幅が広がりました。

京阪神の魅力満載「らぶかん」のスタジオ風景
関西の魅力満載「らぶかん」のスタジオ風景
「土曜はおまかせ」の収録風景
「土曜はおまかせ」では各地からの公開生放送も

二足のワラジとなったけれど

その後、家業でもあった特殊印刷の中堅メーカーの経営の責を担うようになり、社長とアナウンサーの二足のワラジとなって、番組の数自体は落ち着きましたが、まだまだ貪欲に両立を目指して頑張っています。現在のレギュラー番組は以下の通りです。どうぞよろしくお願い致します。
ラジオ関西「寺谷一紀のまいど!まいど!」(毎週金曜午前10時〜)
「寺谷一紀と!いしょくじゅう」(毎週木曜午後6時〜)
エフエム千里「寺谷一紀の千里の道は世界へ通ず」(毎週金曜午後3時〜)
エフエム五條「五條ヒルドキッ!サタデー」(第二土曜午前10時半〜)

ラジオスタジオでの一コマ

FM千里のパネルの前の寺谷一紀